今回は「元AKB48」のメンバー
「秋元 才加」(あきもと・さやか)
現在は女優やタレントとして活躍しています。
「秋元才加」の結婚報道を聞いて「家族構成」や「生い立ち」が気になって調査しました。
過酷な幼少期を過ごしていたなんて…
家族
父
ハーフを理由に同級生から「いじめ」られたり「からかわれたり」する事があった。
その度、お父さんは全力で守ってくれた。
時には
いじめた子の自宅まで行って、相手の両親に
うちの娘をイジメてるのは、お前んちのガキかー!
と怒鳴り込みに行くこともあった。
小4の頃から、いじめの対象になった。
上履きに画びょうが入れられ
石を投げられたり…
公園に悪口を書かれたり
数々のいじめを受けたそうです
ハーフ・フィリピンとからかわれ
どうしてみんなと違うんだろう
と悩んだ時期もあり、話さなくなっていた時期もあると後に語っています。
母
フィリピン人(フィリピン マニラ生まれ)
お母さんはレストランで働き、朝昼晩と仕事を掛け持ち
お父さんは「専業主夫」
良くも悪くも、常識にとらわれない「特殊な家庭」で育った「秋元才加」
人は人、自分は自分
好きな服を着て行きなさい
勉強を頑張ることが将来を変える一歩だから
と励ましてくれたと言います。
弟
- 亮太(1歳下)
- 職業:レントゲン技師
- 兄弟そろって筋肉美
2016年開催の「ベストボディジャパン・ミスターモデルジャパン」で
フレッシャーズクラスグランプリに選ばれました。
美しくて程よく鍛えられた筋肉を競い合うコンテストです。
秋元亮太は、そのコンテストでグランプリを受賞しています。
仕事をしながら、トレーニングをしてきた弟をたたえ
弟の写真を、インスタで公開し注目を集めました。
幼少期から兄弟で支えあいながら、ここまで来た。
壮絶な生い立ち
小学生:芸能界に憧れるようになる
中学生:色んなオーディションに参加し始める
高校進学後の学費:学校が終わってからのアルバイトで、学費は自分で支払っていた。
高2:AKB48のオーディションに合格
2006年17歳:AKB48の2期生としてデビュー
活動開始当初:アイドルという仕事に、それほど興味を持てなかった。
何度か舞台に立つにつれ、やりがいを感じ真剣に取り組むようになる。
2009年 20歳:AKAB48選抜総選挙12位
2010年 21歳:チーム「K」のキャプテンに就任
2010年 21歳:「笑っていいとも」でレギュラーを務める
2010年 21歳:スキャンダル報道後チーム「K」のキャプテンを辞任
2011年 22歳:チーム「K」のキャプテンに復帰
2012年 23歳:東京マラソンに出場「5時間34分13秒」で完走!
2013年 24歳:秋元才加「誕生祭」で酔っ払い過ぎた父が、劇場から追い出され…その後は出入り禁止に!
2013年 24歳:AKAB48卒業
2014年 25歳:TV番組で過酷な生い立ちを告白する
2014年 25歳:フィリピン観光親善大使に任命された
2020年 31歳:ラッパー「PUNPEE」と結婚
皿に新聞紙を乗せて、ライターで火をつけて明かり代わりにしていた
寒い冬でも、仕方なく水風呂に入る
割引商品の多くなる夜、スーパーで半額の惣菜やお弁当などを購入していた
ご飯に大根おろしを乗せて、醤油をかけた「大根おろしご飯」
全部フリマ
捨ててあるものを拾っていた
そんな辛い幼少期を過ごしていたなんて…
これっぽちも感じさせず、頑張っていたのかと思うと
今まで以上に応援に力が入ってしまいます。
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原因は自由な父
お父さんが「自由人」で全く働いてくれなかったから
許せない時期もあったようですが、それでもやっぱり父が好きと言っています。
絶対にほどけない「縄の縛り方」を教えてくれる
子供の私にでも悪かったと思ったら、ちゃんと謝る
子供相手でも、きちんと「ありがとう」と言う
幼少期、ハーフをからかわれた時「俺の娘にハーフとか言ったヤツはどいつだ!あんたらの息子や娘より、うちの娘のほうが頭もいいし、顔もいい!」と怒鳴った
ゴリラといじめられた時「お前は世界で一番可愛いゴリラだ!」と慰めてくれた
ちょっとズレてる?けど、家族を愛する気持ちをオープンにして隠さない
幼少期の生活
物心ついた頃から、父が全く働いてくれなくて…
いつもお金がない状態で、お母さんが朝昼夜と掛け持ちで働いていた。
もちろん、お小遣いをもらった事もない。
「電気」「ガス」が止まるのは「日常茶飯事」で
当たり前なので、慣れて驚かない程にたくましい。
当時は食べる事すらギリギリの生活で、母のパート収入だけで生活していたそうです。
アイドルになってから、毎日お弁当がもらえた事に喜びを感じていたそうです。
余ったお弁当は家族にプレゼントしていた。
段ボール2箱分のお弁当を実家に送った。
自分が食べるお弁当は「冷凍保存」して、ちょっとずつ食べていた。